東京大学医学部衛生学教室 前史



東京大学医学部衛生学教室(現分子予防医学教室)は、衛生学の教室として我が国で最も古い歴史を有しています。以下は、その沿革を簡単にまとめたものです。

安政5年(1858年)5月7日、神田お玉ヶ池松枝町続きの元誓願寺前に“お玉ヶ池種痘所”が開設され、江戸において初めて組織化された種痘事業を行いました。これが現在の東京大学医学部の端緒です。文久元年(1861年)、種痘所は西洋医学所と改称され、教授、解剖、種痘の三科が置かれ、医学教育機関としての内容が次第に整ってきました。

種痘所から発展した西洋医学所は、以後明治のはじめにかけて、医学所、海陸軍病院、大病院医学所、昌平学校医学校兼病院、大学東校、東校、第一大学区医学校とめまぐるしく改組改称されました。蘭学にかわってドイツ医学の導入が始まったのもこの頃です。

明治6年(1873年)、長輿専斉が約1年半にわたる欧州各国の医学教育衛生行政の視察から帰朝しました。長輿は帰朝後直ちに文部省医務局長、同8年には内務省衛生局長となります。明治7年(1874年)、第一大学区医学校は東京医学校となり、長輿専斉が東京医学校長を任命されました。

明治9年(1876年)、東京医学校はそれまでの神田和泉橋通から、この年俊工した本郷の新校舎、新病院に移転しました。翌明治10年(1877年)、文部省は東京医学校と東京開設学校を併合して東京大学とし、法、理、文、医の四学部が置かれ、東京大学(医学部)が発足しました。

明治14年〜15年度の東京大学医学部一覧によれば、別課課程の学生に対し衛生学の講義が行われたことになっていますが、講義担当者の記載はありません。明治16〜17年度の一覧では助教授片山国嘉が裁判医学とともに衛生学を担当したとあります。また、明治45年の「東京医学会創立25年祝賀論文」には緒方正規が、明治13年頃E.チーゲルが、同15年より片山国嘉が、同17年頃大沢謙二が衛生学の講義を行ったと記録されています。

明治17年(1884年)、緒方正規が4年間のドイツ留学から帰国、翌18年(1885年)1月1日、医学部学生宿舎三室を用いて衛生学実験場を開設、同年2月から御用掛医学部講師として衛生学と細菌学の講義を行いました。“是れ本邦に於て秩序ある斯学教授の濫觴なりとす”

ちなみに、衛生学の祖M.ペッテンコッフェルがミュンヘン大学に世界最初の衛生学講座を開いたのは1865年、そして、ベルリン大学に衛生学講座が置かれ、R.コッホが初代教授に就任したのは当衛生学教室の開設と同じ1885年のことです。

(主として東京大学医学部100年史 昭和42年による)




明治30年の赤門
東京帝國大学の敷地は、加賀百万石前田候から江戸時代の上屋敷の提供を受けたものである。前田家第13代斉泰に将軍徳川家斉の21番目の娘偕子が嫁した際、その婚礼のために、1827年に建てられたのが赤門である。

赤レンガ時代の衛生学教室
大正7年

医学部1号館
昭和12年